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電撃文庫の目立つ装丁

http://d.hatena.ne.jp/kazenotori/20060426/1146034740#c1146585174(「ウィンドバード::Recreation」さん

>各所の意見などを読むに、やはり電撃の売上げの一因には"目立つ装丁"というのがあるんだろうと思わざるを得ないのですが。

見比べて見ると確かに一目瞭然。





召喚教師 リアルバウトハイスクール〈13〉 (富士見ファンタジア文庫)

撲殺天使ドクロちゃん〈6〉 (電撃文庫)

富士見はレーベルデザインの統一性を優先しているけれど、電撃は表紙の絵柄を最大限見せようとしていますね。
富士見もミステリー文庫では表紙絵を見せる様にしているから、ファンタジア文庫もそういう風にすれば良いのに。
やはりライトノベルの老舗としての誇りがそうはさせないのですかね?


〜表紙の重要性〜
表紙の絵柄を大きく見せる工夫は、なにも電撃文庫に限った訳ではありません。特にここ数年その傾向は顕著になっていると感じます。やはり新刊平台で目立つ為にはぱっと見、目立つ方が有利だからでしょう。





女子高生 1 新装版 (アクションコミックス)

女子高生 1 新装版 (アクションコミックス)


最近アニメ化した「女子高生」左は新装版、右は旧版。
表紙のインパクトを重視した作りに変更されている。
ちなみに旧版時は掲載誌「コミックHIGH」も休刊。



この表紙の絵柄大きく見せる傾向は、個人的には同人誌の影響が大きいと思っています。同人誌は基本サイズはA4で商業誌(新書・B6)よりは大判です。その上中小印刷会社の血のにじむ努力によって色再現性は商業誌より圧倒的に上になっています。つまり商業コミックは表紙の表現力の向上を怠ってきたと言えます。
ただ勘違いしてはいけないのは、富士見ファンタジア文庫は表紙の重要性に無頓着だから今でも余白をとっている訳ではない、という事です。レーベルイメージを変えると言う事は非常に諸刃の剣だからだと思います。従来のファンを失ってしまったり、他レーベルとの区別がなくなり埋没してしまう危険性があるからではないでしょうか?

この点で非常におもしろい例があります。白泉社花とゆめ」コミックです。


〜老舗の挑戦〜
花とゆめコミックと言えば、今真っ先に浮かぶのは「桜蘭高校ホスト部」ですね。男装で中性的なハルヒがお気に入りです。
表紙をみて分かる様に、表紙絵の周りに額縁があるようなデザインになっています。

桜蘭高校ホスト部(クラブ) (1) (花とゆめCOMICS)

桜蘭高校ホスト部(クラブ) (1) (花とゆめCOMICS)

そうそう、花ゆめコミックで最近のお気に入りになったものに「ペンギン革命」があります。こちらも男装ものです。あ、一応言っておきますが、そういう趣味はないですよ。

ペンギン革命 第3巻 (花とゆめCOMICS)

ペンギン革命 第3巻 (花とゆめCOMICS)

さて表紙の雰囲気が異なる事が分かりますでしょうか?表紙絵がかなり大きく額縁部分がほとんど有りません。このように最近の花とゆめコミックは「レーベルデザインの統一性」と「表紙絵のインパクト」のバランスを如何にとっていくかを工夫している傾向があります。概ね固定客の少ない単発ものほど大胆な表紙でインパクトを狙っているみたいです。


〜女性向け作品も販売手法を意識しだした〜
花とゆめコミックがインパクトを意識しだしたのがどこかは私も分からないのですが、最初にあれ?と思ったのは「金色のコルダ」です。このあと「虹色JOKER」があり「ラピスラズリの王冠」がありました。(本当はこの前にもっとびっくりしたものがあったのですが、今は置いておきます。)おそらく2004年あたりから表紙のインパクトを重視しだしたのではないかと思います。







 


 

左から「金色のコルダ」「虹色JOKER」「ラピスラズリの王冠」
  

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2006年05月08日追記
これについて、「ymd-yの日記」さんよりご指摘を受けました。
http://d.hatena.ne.jp/ymd-y/comment?date=20060508#c


2004年以前の「花ざかりの君たちへ」「天使禁猟区」「八雲立つ」など1990年代から、この様な例があったとの事です。
正直上記3作品とも当時から非常に有名でしたが、どうしても女性向けとの個人的なイメージ(絵柄・内容共に)からあまりチェックしていない作品でした。今日実際に現品を見てきましたがご指摘の通りでした。特に「天使禁猟区」は羽を大きく表現する為には額縁部分を犠牲にする必要があったと言えます。
「2004年くらいから表紙の絵柄を重視しだした」というのは当方の個人的な印象で、実際は正しくないと言えます。申し訳ありません。


また「単発ものほど大胆な表紙でインパクトを狙っているみたいです」と記載したのは、こんな例が印象的だった為です。これも事実誤認と言えます。

悩殺ジャンキー (1)

悩殺ジャンキー (1)

3年Z組ポチ先生 (花とゆめCOMICS)

3年Z組ポチ先生 (花とゆめCOMICS)

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さてちょっと本筋から外れますが、2004年と言えば「マリア様がみてる」がアニメ化した頃です。その前年2003年はマリみてブームの真っ盛りで、文庫が飛ぶように売れた頃です。その一方で乙女ゲー最大手コーエー(年寄りには「信長の野望の光栄」のイメージしかないのに・・・)が「ネオロマンス通信Cure!」の月刊化(2003/07)を開始しました。つまり女性向け作品にビジネスチャンスがあると、多くの人が認識して行動を開始したのが2003年〜2004年なのです。
・アニメバブルの影響でエロゲーアニメが増えたが、すぐに原作が枯渇する事が想定された。
・「SEED」「鋼」の結果女性の購買力が巨大な事が理解できた。
これらの要因から、女性向け作品がコンテンツビジネスの対象として注目されてきたと言えます。


そう考えると表紙絵のインパクトを意識した初期の作品が「金色のコルダ」だったのも何となく納得できます。コーエーネオロマンス第3弾というコンテンツビジネスの中核作品として、立ち上げ当初から「商品力」を問われる以上、販売をどのように支援できるか、その創意工夫の結果の「表紙のインパクト」だったのではないでしょうか?
そういえば「金色のコルダ」もアニメ化が決まりましたね。


〜余談「遙かなる時空の中で」〜
何で電撃文庫の表紙の話から、花ゆめコミックになってしまったのか、意味不明文で申し訳ありません。怪電波だと思ってください。
怪電波ついでにもう一つ。実は花ゆめコミックで表紙絵のインパクトを最初に感じたのは「金色のコルダ」より前があります。「遙かなる時空の中で」です。但し不思議な事に7巻だけです。

遙かなる時空の中で (7)

遙かなる時空の中で (7)

2003/06に発売された7巻ですが、6月には「遙かなる時空の中で盤上遊戯〜」が「タイミング良く」発売されています。ちなみに表紙の金髪のぼうやは流山詩紋です。このキャラが7巻中重要なのかどうか不明ですが、それ以前の表紙と比べると破格の扱いなのは確実です。作者の思い入れが感じられます。さぞかしこれ以降も破格の扱いで表紙を飾るかと思いきや・・・。







遙かなる時空の中で (8) 花とゆめCOMICS

遙かなる時空の中で (9)

 

遙かなる時空の中で (10)  (花とゆめCOMICS)
 

 左から8巻・9巻・10巻。
ちなみにお相手はイノリ・藤原鷹通・安倍泰明
 

なんかヒロインが男を次々チェンジしている(笑)
仕方がないですね。元は「乙女ゲー」なんですから。ではアニメはどんなエンディングだったのか気になります。

http://product.bandaivisual.co.jp/web_service/shop_product_info.asp?item_no=BCBA-2019(DVD最終巻商品詳細)

>八葉マルチ恋愛エンディング…八葉それぞれとのオリジナルエンディングを収録!


マルチエンディングかよ!!

アニメやコミックで一人のキャラに肩入れする事はコーエー的に不可だという事でしょう。これはコーエー側で本格的なコンテンツ管理を行っているのでしょうか?
と思ったら、こんな動きがあったのですか。

http://www.gamecity.ne.jp/neoromance/maihitoyo/(劇場版「遙かなる時空の中で〜舞一夜」公式)

これはそう簡単には物語を終わらせる訳にはいかないですね。


〜売り上げ重視の果てに〜
さて電撃文庫のの話でしたね。まったく別話題になっていましたが・・・。つまり表紙のインパクトが売り上げに繋がるという事から発想されたアイデアだと言えます。
かつて、というか今でもですが、音楽CDの世界に「音圧競争」というものがありました。音楽がTVや店頭で流れる際、音が大きい方が目立つため少しでも「音圧」を上げようとマスタリングを工夫した、マーケティング的な要請に基づいた行動です。しかしこの動きが過剰になった時、音楽本来の音質を無視したマスタリング処理を行う事が発生して、ミュージシャンの一部から批判されました。「売るための努力」と「作品としての価値」のバランスの取り方というのは、結構難しいものなのです。

表紙のインパクトを優先した商品開発は、今後も必要だと思います。しかし、インパクトを狙う事と同じ位、レーベルの独自性を維持する事も重要なのではないでしょうか?
なんでもありの商品開発を繰り広げた結果待っているのは、最後にものを言うのは資金力、みたいな世界かもしれません。そんな嫌な現実はライトノベルには持ち込んで欲しくないですね。